【放心】刑事モース完結編が“ひどい”と評される理由を感情と論理で語る【ネタバレあり】

「刑事モース オックスフォード事件簿(原題:Endeavour)」は、長年にわたり高い評価を得てきた英国の刑事ドラマシリーズです。

その完結編であるシーズン9の最終話(通算第36話)は、作品の集大成であるにもかかわらず、「ひどい」「納得できない」といった否定的な意見が多く寄せられました。

本記事では、なぜこの最終回が“ひどい”と感じられたのかを、感情面の受け止め方と、演出の両面から整理し、考察します。
あわせて、日本国内でのシーズン9の配信状況や視聴方法についても情報をまとめました。

※以下、シーズン9最終話の内容に触れています。ネタバレを含みますので、未視聴の方はご注意ください。

刑事モース最終回が“ひどい”と感じた理由①:11年かけた人間関係の崩壊

「刑事モースオックスフォード事件簿」は、2012年のパイロット版放送から2023年のシーズン9まで、全11年にわたって続いた長寿シリーズです。

11年という歳月の中、物語の中心にあったのは、若き刑事モースと、上司であり父のような存在でもあったサーズデイ警部との絆でした。

ところが、完結編となる第36話では、サーズデイとの関係が唐突に断絶します。

モースが合唱団で歌い終えた後、無機質な表情で去っていくラスト。「これで終わり?」と言うのが象徴的です。

本来ならば、最終回では彼らの関係の「着地点」が描かれると期待されていました。しかし実際には、「エンデバー」というファーストネームを呼ぶサーズデイに対し、拒絶するモースという、長年の積み重ねを打ち捨てたかのような描写が残されます。

このような急展開に対し、「本当にこれで終わりなのか?」「あまりに冷たすぎる」という戸惑いや失望が広がったのは自然な反応でしょう。

理由②:父のようなサーズデイが人を殺すという裏切り

最終話で明かされるのは、サーズデイが自らの手で人の命を奪ったという事実。その動機は「息子サムを守るため」だと語られます。

ただし、物語内での説明はわずか数分。葛藤や経緯の描写がほとんどないため、これまでサーズデイを尊敬してきた視聴者には、感情の受け止め準備が不足していたと言えるでしょう。

さらに、サーズデイはその直後に娘ジョーンの結婚式で笑顔を見せ、モースとダンスまで披露します。ここで視聴者が感じるのは、血塗られた手と祝福の舞台という強烈な対比です。

演出としては「善悪のグレーゾーン」を描いた意欲作と評価することも可能ですが、サーズデイというキャラクターの“背骨”が崩れてしまったと受け取る人も少なくありませんでした。

理由③:ジョーンの結婚と描かれなかった想い

モースとジョーン・サーズデイの関係が発展することに期待していた人も多かったはず。

でも、最終シーズンでは急にジョーンがストレンジと結婚する展開になりました。ストレンジとの接近が描かれたのはシーズン8終盤あたりからで、その関係性の進展にはやや唐突さが残ります。

さらに、ジョーンは婚約を控えた状態にもかかわらず、モースを飲みに誘います。これは、彼女の中に「モースへの未練」がまだあることを意味しています。

しかし、モースはその約束の時間に遅れ、何のフォローをすることもなく。謝罪すら口先だけで終わってしまう。
このすれ違いは、もはや単なる“タイミングの問題”ではなく、「なぜ何も行動しなかったのか?」という根本的な疑問を残します。

もし脚本側の意図が「関係は結ばれなかったが、心に何かが残った」というものであったなら、その描写をもう少し丁寧にしてほしかった──。多くの視聴者がそう感じたはずです。

また、ストレンジは端役だと思っていたのですが、実は違いましたね。堅実に地位を築き上げていく安定株でした。モースのように酒に溺れることもないし、サーズデイのように人として落ちぶれることもない。ジョーンはある意味、男を見る目があったのでしょう。

理由④:意味不明な“銃声”のシーン

終盤に、モースが教会の横のベンチに座り、手に持った銃に弾を込めます。流れ的に、サーズデイから受け取った銃のようです。

そして、唐突に銃声だけが響きます。

この場面について、ITV公式サイトでも特に解説はなく、脚本上の明示もないため、視聴者の解釈に完全に委ねられた演出と言えます。

多くのファンはこの銃声に困惑し、「誰かを撃ったわけではなさそうだが、何を意味していたのか分からない」という感想をX(旧Twitter)などに投稿しています。

筆者の考えとしては、この銃声は「サーズデイとの過去への決別」を象徴したものと解釈できます。
銃弾は、サーズデイと過ごしたひとつの時代、そしてモースの中に重く残った11年間の記憶。
それを放つことで、自分自身の再出発を静かに選んだのではないか──と。

ただし、この演出が視聴者に十分な納得を与える形ではなかったことは否定できません。「曖昧さが深み」と捉えるか、「説明不足」と捉えるかで評価が大きく分かれる象徴的なシーンでした。

理由⑤:モースにまったく救いのない“幕切れ”

以下は、モースが最終回で直面する“喪失”のリストです。:

  •  サーズデイへの信頼崩壊(殺人の事実、関係の断絶)
  •  ジョーンへの思いの不成立(結婚、すれ違い)
  •  所属していた警察署の解体(職場の喪失)
  •  銃声による象徴的な「決別」

どの方向にもモースの「希望」は描かれず、エンディングでは彼の老け込んだ表情だけが残されます。

もちろん、「主任警部モース」(Inspector Morse)へと続く人生を描いているからこそ、この暗い終わり方はある意味、必然だったのかもしれません。

しかし、少なくとも「報われる瞬間」「過去を癒す一言」など、何らかの感情的救済があってもよかったのではないか──というのが多くの視聴者の本音です。

唯一の救いは“合唱”と”ジャガー”だった?「主任警部モース」への繋がりを考察

最終話のラスト近く、モースは正装姿で合唱に向かいます。これは、彼が「音楽」という個人的な趣味によって、自身を再構築しようとしている様子の象徴のようです。

実際、本家「主任警部モース」の第1話は、壮年期のモースが合唱サークルで音楽に深く親しんでいる描写から始まります。この合唱の趣味は、モースという人物の“変わらない部分”を示す非常に重要な要素です。

また、最終話では若いモースが乗っていた車(ジャガーMkⅠ)と、年老いたモースが乗るジャガーMkⅡがすれ違う演出もありました。これは、連続性を持って存在するリアルなエンデバー・モースの人生を丁寧に描き続けているという、制作側のメッセージが込められているのだと思います。

それでも、この終わり方がモースらしかったのかもしれない

モースは、孤独で不器用で、愛するものを手に入れることなく生きていくキャラクターでした。その若き時代を描いたシリーズが、最後まで“報われない物語”であったことに、むしろ誠実さを感じる視聴者もいるはずです。

「ひどい」と感じたのは、それだけモースという人物に感情移入し、深く共感してきた証拠です。
視聴者の“納得したい”という願いと、“答えを与えない”という制作者の姿勢のギャップこそが、最終回の賛否を生んだ要因でもあります。

最終話で描かれたのは、救済ではなく、1人の人物のリアルな人生という“現実”。
だからこそ、この完結編は忘れられない物語として、多くの人の記憶に残るのではないでしょうか。

「刑事モースオックスフォード事件簿」シーズン9はどこで見れる?配信&放送情報まとめ

まず、結論からお伝えすると、「刑事モースオックスフォード事件簿(原題:Endeavour)」は、WOWOWオンデマンドで視聴可能です。(2025年5月現在)

  •  シーズン9は全3話(第34話から第36話)
  •  配信は、WOWOWオンデマンド
  •  吹き替えのみ(字幕なし)

なぜか、AmazonプライムビデオやNHKではシーズン8の第33話までしか配信・放送されていません。シーズン9の放送予定は不明です。

また、吹替えオンリーなのが残念ですね。特に、サーズデイの吹替えが苦手という方(私です)には辛いところです。筆者も字幕派なので、字幕版を希望しています。

どうしてもシーズン9が観たい!という方は、WOWOWオンデマンドでどうぞ!

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まとめ|刑事モース最終回は“ひどい”けれど、忘れられない物語だった

モースが築いた人間関係の崩壊、恋愛の破綻、意味不明な銃声シーン──。たしかに「ひどい」と感じた人が多い最終回だったかもしれません。

けれど、「ひどい」という感想は、どちらかというと、モースの内面に救いを与えてほしかったという叫びのようなもの。

つまり、シリーズ全体と貫く、モースの内面に存在する「孤独と信念」に、視聴者がどっぷりとハマったからこその感想なのです。

刑事モースは、何度見ても心を動かされる傑作ミステリーシリーズです。それぞれの視点から、ぜひあなた自身の答えを見つけてみてください。

 

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